花霞(Hanakasumi)

パンデミックが世界を襲ってから1年。
去年の今頃は、ニューヨークがみるみるうちに地獄絵のような事態となっていくのを報道で見ながら、かつて経験したことののない恐怖や薄気味悪さと闘うようにして、とにかく家にこもっていたことを思い出す。

1日1回だけ犬の散歩に外に出ると、自然界では何事もないように蕾が花を咲かせ、そして散っていくという,いつもの摂理を繰り返して、この狂気沙汰も、もしかしたら自然の摂理の一部なのでは?と思ったりしたものだ。

そして今年もいつものように花の季節が巡ってきた。

毎年、セントラルパークの桜を見るタイミングを損ねてしまうので、
今年こそはと思い、先週の土曜日の早朝、雨の降り出す前に、桜並木で知られるジャクリーン・ケネディ・オナシス貯水池へ。

霧が立ち込め、視界の悪いこと。春霞という季語があるように、春は植物の蒸散が活発化するから、大気中の水分が増えて霧や霞が出やすくなるそうだ。

ちなみに、花霞という季語もある。満開の桜の花が、遠目には霞がかかったように白く見えることを表現したものだ。なんと美しい言葉だろう。日本人ならではの感性が創造した言葉。ひとことで訳せる言葉が他の言語にはとても無さそうだ。

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